例えば体育や図工・美術など「技能系科目」と呼ばれるモノの技能であったり、国語・算数・理科・社会・英語などのテストの点数や偏差値で表れる知識の伸び等はいわば「外側から見える能力」ですが、教育においては外側からは中々視ることができない、謂わば「成熟」ともいえる「内側の成長」があります。それは、個々人の中で学びが意味付き・価値付き・重み付き、人生においての方向性を伴ったときに一歩進んでいくモノですが、その営みに於いて教師はガードレールのような役割を果たします。子どもが自ら学びを意味づけ、価値づけ、重み付けていくことを支えながら、時に踏み外しそうになる子どもたちの内面の育ちを時に補足するような道徳教材になればと願います。
目に見えないウィルスとの戦い。怖い。自分がうつりたくない。早く収束して欲しい。そんな焦りや恐怖から、人は感染した人を後ろ指指して非難や中傷をしてしまいがちです。本来的な敵は「感染をした人」ではなくて、「ウィルスそのもの」なのですが。学校教育においては誹謗中傷を止めよう!というよりも、大人になったときに他人の悪口を言わないとか、周りの人のことを自分の子とのように思いながら人生を歩める人になることを後押しします。それこそがキャリア教育であり、道徳だと思うからです。
学校の再開に向かっていくに当たり、心配していることがあります。それは「もし、誰かが感染してしまい全校休校などのの措置になってしまったときに、その子、そのご家庭をどうまもれるのか」ということです。現状は、誰がかかるか分からない状況です。でも、感染経路が追えず、市中感染が拡がっているなかで、学校の中にウィルスはいつ入ってきてもおかしくありません。予防的な説明がまず大切、という考えの基に作成をしました。
家族でさえわかり合えないし、知らない人とわかり合えるのなんて、本当に少しだけ。でも人間って不思議で、分かってくれるだろうとか、これぐらいダイジョウブだろうってスグに思ってしまう。自分自身も耳の痛い教材。
情けは人の為ならず…とまでは言わないのですが、困っている人を見かけたときにスッと手をさしのべられる優しい人に育って欲しいと思うのです。
どうしても自分の為に時間を多く裂いてしまいがちですが、一日の内の10-20%を他人の為に使う時間だと予め割り切っておくことで、余白が生まれたり、人間関係が良好になったりすることもあるよ、という資料です。
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